五羽の折り鶴                                           2002.03

 

 私の部屋の壁掛けの本棚の端に、五羽の折り鶴が一本の糸につながれて静かに「飛翔」している。この折り鶴はアメリカのある小学校の子供達がある少女のために折ったものである。その少女はゾウィーと云って七才の愛らしい女の子だった。

  三年前の十一月のこと、私は出張の折りにコネチカット州のグロトンに友人を訪ねた。彼の奥さんは看護婦で、当時六才と三才のかわいらしいお嬢さんがいた。姉はゾウィー、妹はコリという。二日間の滞在の間に、私は二人の姉妹とすっかり親しくなった。最初の日には、一緒に折り紙で鶴を折ったり、近くの小川に二人を連れて歩いたりした。次の日には、博物館や公園を訪れ、帰りにショッピングセンターで買い物をした。ゾウィーとコリは1日の遠足で大分疲れてきたので友人が妹を背負い、私が姉のゾウィーを背負って駐車場まで歩いた。

 それから半年後、いつもならメールを送るとすぐに返事をくれる友人がなかなか返事をよこさないのが気になっていたところ、しばらくして娘のゾウィーちゃんが重篤な病気であることを知らされた。急性の随膜炎だという。皆の祈りと看病の甲斐もなく、三週間後にゾウィーは天に召されたのだった。

 家族の中にぽっかりと空いてしまった虚しい空隙を家族がどのようにして埋めていったかをつまびらかには知らない。丁度一年後、その友人からメールを受け取った。新しい担任の先生が生徒達にゾウィーのために折り鶴を千羽折ろうと呼びかけ、生徒達の共同作業が始まったという。先生は「Sadakoと千羽の折り鶴」を読んでこのプロジェクトを思い立ったとのことだった。Sadakoは原爆に被爆した少女の物語だ。子供達はゾウィーのために行なったこの共同作業を通して自分たちの失ったものを見つめ、心を癒されたのではないかと思う。鶴の数がついに千羽に近くなった頃、ゾウィーの母親が子供達を教室に訪れた。母親は目に涙を浮かべて、ゾウィーが生前に折った二羽の鶴を千羽の中に加えてほしいと頼んだ。子供達はそれを自分たちの折った鶴の中に加えて教室の天井に飾ったのである。こうして偶然にも、私の友人宅への訪問がゾウィーの死後、ゾウィー自身がクラスの「千羽鶴」のプロジェクトに参加する契機となったことに、私は驚きと若干の戸惑いとそして深い感慨を覚えたのだった。

 友人は、幼い娘を失ってから、自分の人生にとって重要だと思ってきたものが全く重要ではなくなり、さらに大切なものが見えてきたと語った。しかし、また、それに気づくのに払った代償はあまりにも大きいとも話してくれた。

 さらに一年経った今年の二月、アメリカ西海岸のヴェントゥーラで開かれたゴードン会議はその友人がオーガナイザーとなって開かれたものだった。その会議に、彼はゾウィーの教室の天井に吊してあった折り鶴を私のために持ってきてくれたのである。五羽の折り鶴は、今日も私に何かを語りかけるかのように静かに「飛翔」している。