親族挨拶
今日は皆様大変お忙しいところ、しかも三が日も明けたばかりというときに、母のためにお集まりいただきまして誠にありがとうございました。母のここ数年間と、亡くなりました三十一日の様子について簡単にご報告させていただきます。
母は6年前の97年に御殿場高原病院に入院致しました。高原病院では院長先生を始めスタッフの方々に大変お世話になりました。母は記憶は大変衰えてしまいましたが、私共が参りますといつも喜んでくれまして、特に昔のことは意外と覚えておりましていろいろと会話を楽しむことができました。
高原病院は富士山の麓にございまして、晴れた日には富士山が間近に見えますので、よく富士山の見える二階の談話室に行きまして、そこで一緒に富士山を眺めたり致しました。御殿場では本当によくしていただいたのですが、なにしろ遠いものですから、いつかもう少し近くに戻ってこられないものかと思っておりましたところ、幸い一昨年の11月に、ここの七里が浜ホームに入れていただくことができまして転院致しました。こちらでも今日いらして頂いております施設長の佐間田様を始め担当の方やスタッフの方々に大変よくして頂きまして母も幸せだったと思います。
昨年12月に入りまして肺炎を起こしてこちらの病院に入院致しました。
12日でしたか一旦退院致しましたが、翌13日には再発しまして再び入院することになりました。その頃から若干元気がなくなって来たように思いました。31日も午前中は特に変わったことはなかったようでしたが、午後になりまして少しずつ血圧が下がって参りました。亡くなります2ー3時間前に、ほとんど意識はなかったかと思いますが、私共がベッドの傍らでいろいろと呼びかけますとそのたびに目を開けてそれに答えてくれるように見えました。最後は本当に穏やかな表情で午後10時41分に私達の見守る中、静かに息を引き取りました。
この数年の間、兄弟姉妹が連絡を取り合いながら母を支えて参りましたが、その間もずっと感じておりましたのは、確かにある意味では私達が母を支えていた訳ですが、母は私達にそういう機会を与えることによって、母の最後の仕事として私達兄弟姉妹の絆を深めていてくれたのではないかということでございます。母のおかげで私たちの絆がさらに深められたと思っております。
ひとつ心残りなのは、母のことで相談もし、精神的な支えにもなってくれていました一番上の姉の明子が昨年の夏、母に先立って逝ってしまったことでございます。姉と一緒に母を見送ることができなかったのが残念ですが、しかし、今頃きっと母は姉と天国で再会の喜びを味わっているのではないかと思います。
この間多くの方々から励ましやお祈りをいただきまして、この場をお借りして皆様に心からお礼申し上げる次第でございます。
本日は本当にありがとうございました。