あるフィリピン兵の命を救った「ハマベノウタ」
 
 最近初めて訪れたマニラの友人宅で、父君の元フィリピン大学教授・ミランダさんから聞いた話である。1943年から1944年にかけてのこと。当時フィリピン大学に入学したばかりのミランダさんは第二次大戦のさなか、ゲリラ隊“ラウール(Raul)”に参加していた。フィリピンには軍備といえるほどのものはなく、ゲリラ戦を展開する以外に抵抗の道はなかった。しかし、ミランダさん達のゲリラ隊は次第に日本軍に包囲され、ついに捕虜となってしまった。捕まったフィリピン兵の多くは銃殺されたという。捕まって身体検査を受けたとき、ズボンの後ろのポケットに忍ばせていたものを検知され、出すように命じられた。命じられるままにハーモニカを取り出して将校に差し出したところ、「吹いて見ろ」と言われた。そこで、当時フィリピンを占領していた日本軍が放送で流していた「ハマベノウタ」を吹いた。日本軍の将校は、ミランダさんの吹く「浜辺の歌」に感動して心を動かされ、彼をそのまま解放したという。実はその時、ミランダさんは軍の機密を記した文書を靴の中に忍ばせていたのだが、ハーモニカの一件のために、靴の中まで探られずに済み、命だけでなく、軍の機密も守ることができたという事である。とにかく、九死に一生を与えてくれた「ハマベノウタ」を、ミランダさんはそれからも忘れることはなかった。14年後の1958年8月、アメリカでの留学を終えたミランダさんは、東京で開かれた日本原子力研究所主催の国際放射性アイソトープ講習会に参加している。