学会見聞記 −ICSG2000−
東工大 有坂文雄、理研 白水美香子
 
 昨年11月2日から5日まで横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)で4日間にわたって標記の会議(International Conference on Structural Genomics 2000)が開催された。参加者は外国から約100人、国内から300人を数え、講演が65件、ポスター116件と、大変過密なスケジュールにも関わらず、連日発表と熱のこもった討論が行われた。口頭発表はすべて招待講演で、各4−7人の講演からなる13のセッションに分けられ、内容としては(1)各国の構造ゲノム科学プロジェクトに関するもの(4セッション)、(2)方法論、(3)生物情報科学(Bioinformatics;2セッション)、(4)プロテオミクス、(5)各国のX線およびNMR研究施設の紹介、(6)構造生物学の成果(4セッション)、から成っていた。以下、講演や討議の中から、筆者の理解した範囲で印象に残った事柄を紹介したい。
構造ゲノム科学とは
 構造ゲノム科学(Structural Genomics)という言葉は定着しつつあるが、必ずしも一般の常識にはなっていないと思う。ゲノミックスはゲノムを扱う科学を指す言葉であり、Functional Genomics(機能ゲノム科学)とStructural Genomics(構造ゲノム科学)の2つに分類されるらしい。構造ゲノム科学は主として蛋白質の立体構造をゲノム規模で決めていこうとするものであり、蛋白質の立体構造に基づいて生命現象を理解しようとするものだ思われるが、その目的とするところ、問題点などがこの会議を通して浮かび上がってきていると思う。構造ゲノム科学では、(1)ゲノム構造の解明された生物の中から対象とする生物を選び、(2)ゲノム規模でのクローニングを行い、各ORFの発現系を構築し、(3)蛋白質の構造を大量に迅速(high throughput)に決定する。こうして得られた構造情報は(4)データバンクに納められ、研究者の使いやすい形で提供される。さらに、立体構造情報は(A)蛋白質の立体構造形成(折りたたみ、分子集合)の原理の解明、(B)一次構造からの高次構造予測、(C)相互作用を含む機能の予測、(D)分子進化の解明、などに利用される。
構造ゲノム科学プロジェクト
 はじめに西村善文氏(横浜市大)が日本のゲノムプロジェクトを概観し、続いてJohn C. Norvell(NIH)が米国のゲノムプロジェクトの現況を報告した。Norvell博士は米国のゲノム構造科学研究を助成する立場にあり、米国がどのような研究をサポートしようとしているかを知るよい機会であった。米国内には既に7カ所の構造ゲノム科学研究センターが発足し、本格的な活動に入ったことが報告され、米国の構造ゲノム科学への取り組みに対する意欲と決意が感じられた。今後この分野での国際競争は益々激化して行くという印象を受けた。ついで各国の構造ゲノム科学プロジェクトが紹介された。 
 高度好熱菌をターゲットとして選んでいるグループの発表がいくつかあり、Sung-Hou Kim(U.C. Berkeley)はMethanococcus jannaschiiをモデル系として、いわゆる“Hypothetical”蛋白質を系統的に調べ上げている。機能を“分子機能”(触媒作用など)と“細胞機能”(細胞内での生理的役割)に区別して、蛋白質の辞書を作ることを手がけている。Thomas Terwilliger(Los Alamos National Lab.)は14研究所の連携で行う構造ゲノム科学コンソーシアムで高度好熱菌Pyrobaculum aerophilumMycobacterium tuberculosisの解析の現状を述べたが、ここでは機能的に重要な蛋白質を重点的に構造決定しようとしているようであった。Aled M. Edwards(U. of Toronto)のグループも原核生物をターゲットとして構造ゲノム科学をめざしているが、クローニングから発現までを行い、結晶化して世界に構造解析希望者を募り解析を依頼する、という形を取っている。
 原核生物では既に33のバクテリアについてゲノム全塩基配列が報告されている。今まで進化・系統関係の研究は特定の遺伝子を種々の生物から取り出してきてそれを比較するものであったが、ゲノム全体を比較すると、さらに興味深い情報が得られると期待される。Hans-Peter Klenk(EPIDAUROS Biotech.社)はこのような観点から好熱性などの表現型の基礎となる分子メカニズムを探る可能性やバクテリアの分類特に古細菌の分類の指標となる遺伝子群の同定や系統分類の妥当性の検討が可能になってきたという話をした。
 真核生物としてはF. William Studier(Brookhaven National Lab.)のグループが酵母を取り上げ、クローニングから結晶化までを行ってこれらをデータベースとして整備する仕事を進めている。横山茂之氏(東大・理研)は理研の構造ゲノミックスイニシアティブ(RIKEN Structural Genomics Initiative : RSGI)について紹介した。RSGIではNMR(理研GSC)とX線結晶解析(理研播磨)によって好熱菌Thermus thermophilusのプロジェクト(阪大 倉光成紀氏)が進められており、同時に同センターの別のグループによって得られた完全長cDNAの発現スクリーニング、大量発現、構造決定をめざしている。横浜鶴見地区に新設されたゲノム科学総合研究センターでは600MHzから900MHzのNMRが16台整備されいる。このプロジェクトでは効率よくすべてのフォールドをカバーすべく、アミノ酸配列をファミリーに分類し、構造決定の行われていないファミリーに焦点を絞って構造決定を行っている。また、横山グループでは以前から開発を行ってきている無細胞蛋白質合成系についてさらなる効率化をはかっており、日本はこの分野をリードしている。
 特にヒトにターゲットを絞っているグループには、ベルリンを中心としたドイツのゲノムプロジェクトがある。U. Heineman(Max-Delbruck Center)はその“Protein Structure Factory”について紹介し、ここではヒトの遺伝子産物に焦点を絞り、X線結晶解析とNMRの両者を併用して構造解析を行うほか、“ハイスループット”をめざした技術の開発を行い、新しいフォールドの発見と医薬への応用をめざしていると述べた。京極好正氏(MITI)によって紹介された新設の生物情報研究センター(通産省)もヒト遺伝子をターゲットとしている。なお、ほとんどのグループは蛋白質をターゲットとしているが、Gabriele Varani(MRC)はRNAの構造ゲノム科学プロジェクトを紹介した。
 さて、構造ゲノム科学プロジェクトで迅速に構造が決定された構造はデータバンクに速やかに登録され、公開されることが重要である。Helen M. Berman(Rutgers U.)はPDBの責任者としてデータベースの現状を述べ、データベースを発現、精製、結晶化、機能等の情報を付加した統合データベースとすること、そして構造ゲノム科学で要求される効率のよいデータの検索法を整備することをめざしていると述べた。また、荒田洋治氏(機能水研)からは新しいOn-line Journalが紹介され、ゲノム情報科学との関連が説明された。
方法論
 X線結晶解析は、スーパーコンピュータの出現やシンクロトロン放射光の出現によって大幅にデータ収集・解析の時間が短縮されたが、現在でも手間のかかる作業であることに変わりはない。これをゲノム規模で“ハイスループット”に行えるようにするためには多くの技術革新が要求される。Gerald Bricogne(MRC, LURE)はX線結晶解析をコンビナトリアルケミストリーなどに匹敵するハイスループットテクノロジーにするための方策として、結晶のマウンティングやシンクロトロンビームラインにおける結晶の配向まで含めたすべての過程を自動化する技術の開発をめざしている。Ganterio Montelione(Rutgers U.)は世界7カ所で発足されているNMRを用いた構造ゲノム科学プロジェクトについて概説し、同大学で行われている半自動シグナル帰属法の進展について述べた。また、甲斐荘正恒氏(都立大)は無細胞系を用いたタンパク質合成で代謝によるアミノ酸修飾を防ぎ、アミノ酸同位体ラベリングが可能なことを示した。Kurt Wuthrich(ETH)は最近開発した横緩和最適化法(TROSY)の導入により分子量10万のアルドラーゼの低分解能構造が得られただけでなく、膜貫通型タンパク質であるOmpXの2次構造分布を決定できたことも示した。
構造解析の前段階であるクローニングや大量発現も進歩が著しいが、結晶化と同じように蛋白質によって発現が難しいこともよくあり、ゲノム規模での実現には同様に更なる技術革新が必要である。この点に関しては大島泰郎氏(東薬大)の高度好熱菌Thermus thermophilusでの発現ベクターの開発についての報告があったほか、既に述べた横山グループをはじめとする日本での無細胞蛋白質合成系の発展が注目される。Brian Matthews(U. of Oregon)は技術的問題のひとつとして最近よく行われる結晶の急速凍結法が結晶構造をゆがめる例について述べ、注意を喚起した。
生物情報科学(Bioinformatics)
 ゲノム規模で決定されていく立体構造情報を用いてまず目標とされることは、比較的少数(約1000)といわれる蛋白質の基本的な折りたたみ(骨格)構造を網羅的に調べ上げることであろう。約1000という数を挙げた張本人であるCyrus Chothia(MRC)はフォールドのデータベースであるSCOPを構築しており、PSI-BLAST等を用いて線虫、ショウジョウバエ、ヒトのORFを検索した結果、これら3つの生物種において蛋白質のファミリーの数はいずれも550程度であって生物の持つ蛋白質のフォールドの数は線虫ですでに尽くされていると述べた。Michal Linial(The Hebrew U.)は、彼がProtoMapと呼ぶフォールドの分類を用いて、新しいフォールドであると思われるものを優先的に構造決定すべきだと述べた。
 フォールドの数がすべて出そろったところで、蛋白質のフォールドの問題はひとつひとつがどのようなフォールドであるか、という問題からフォールド未知の蛋白質がどのフォールドに属するかという帰属の問題となる。しかし、フォールドによってある程度の機能の類推が可能になるとはいうものの、例えばTIMバレルを持つ蛋白質がいろいろな酵素であり得るように、フォールドと機能は必ずしも1:1に対応していない。Janet Thornton(University College)は蛋白質の一次構造、立体構造、機能の関係を明らかにすることをめざしていると述べたが、講演の後の討論にも出たように、機能未知の蛋白質の構造が与えられてもその機能が何であるかを推定するのは容易なことではない。構造から機能を導くために共通の配列や局所構造も見ていく方向の研究として、郷信広氏(京大)はATP結合蛋白質の構造を網羅的に調べ、ヌクレオチドの結合様式には少なくとも10以上あり、進化の過程で独立に生じたらしいという結果を報告した。Oliver Lichtarge(Baylor College of Med.)は酵素の活性部位に注目し、多くの生物種の同じ酵素を比較することによって計算機による進化トレース(Evolutionary Trace)を作成し、これをデータベースとしてターゲット蛋白質をサーチする方法を提案した。これに対して、中村春木氏(阪大)はフォールドがよく似ていても生化学的機能の異なる蛋白質に注目し、これらの蛋白質分子の表面の電荷分布を較べることによって機能を区別する可能性を示した。郷通子氏(名大)は蛋白質立体構造におけるモジュールとエキソンの関係を論じた。
プロテオミクス
 プロテオミクスは構造ゲノム科学に対して機能ゲノム科学といえるが、蛋白質の細胞機能をゲノム規模で明らかにしていく重要な新分野と考えられる。プロテオミクスの名付け親であるオーストラリアのMarc R. Wilkins(Proteome Systems社)は最近のプロテオミクスの進展について述べ、蛋白質の分離・可溶化法、ロボットを使用したスポットの回収、迅速な質量分析による解析、そして得られる情報をまとめる総合的なデータベースの構築について述べた。質量分析によって翻訳後修飾に関する発見も期待できる。小原収氏(かずさDNA研)は光合成細菌のゲノム全塩基配列決定とそのプロテオーム解析の経験に基づいてヒトのプロテオームの解析状況について報告した。このプロジェクトの特徴は分子量5万以上の特に大きな蛋白質に焦点を当てている点で、脳のレセプターなどの多くは高分子量蛋白質だという事実に基づいており、発表はプロテオームの世界をリードする日本を印象づけた。平野久氏(横浜市大 木原研)は植物のプロテオーム解析についての概況を報告し、プロテオーム解析の克服すべき問題点を論じた。Chandra L. Tucker(U. of Washington) はStanley Fieldsのグループで行われている酵母のTwo hybrid systemをゲノム規模で行う方法について興味深い講演を行った。これは蛋白質間相互作用をゲノム規模で明らかにしようというもので、プロテオミクスとゲノミックスをつなぐ境界領域といえる。なお、日本でも金沢大がん研の伊藤隆司氏(金沢大がん研)がほぼ同時期に同じ技術を開発し、発展させている。
各国のX線およびNMR研究施設
 神谷信夫氏(理研)はSPring-8の現況と計画について述べた。ここでのターゲットは超分子構造の解析とThermus thermphilusの"structurome"計画である。坂部貴和子氏(つくば高エネ研)は坂部プロジェクトの現況を報告し、特に同プロジェクトのめざしている時間分解ラウエ法による研究について述べた。NMR研究施設としてはイタリアFlorence大学と横浜鶴見理研の新しい施設の紹介があった。Wayne A. Hendrickson(Columbia U.)はX線結晶学と周辺分野の急速な進展について概観し、今後、構造ゲノム科学の進展の律速段階はこれらの技術の進歩の速度ではなくて、生物学といかに密接にタイアップしていくかであると締めくくったのが印象的であった。なお、3日目の懇親会において、横山茂之氏より、今後この会議が隔年で開催されることに決定した旨の報告があった。
構造生物科学の成果
 第4日目は、網羅的な解析というよりも、特異的な対象についての詳細なアプローチが報告された。この日の内容は、まとめて論じることが難しく、また、少しずつ紹介しても内容が伝わりにくいと思われるので、ピックアップした形で紹介する。
 朝最初のセッションでは、転写や複製などに関わるDNA結合タンパク質の立体構造について、2つ目のセッションでは、主にRNA結合タンパク質についての立体構造解析の発表が行われた。その中で、長井潔氏(MRC, UK) は、これまで明らかにしたU1 snRNPを構成する数々の因子のX線構造を発表し、「立体構造に基づくスプライシング反応の理解」という壮大な目標に、一歩一歩着実に近づいているという印象を受けた。Juli Feigon (University of California, USA) はnucleolinの2個のRRM型RNA結合ドメイン(RBD)とヘアピン型RNAの複合体のNMR法で決定した構造を発表した。これまで数種のRBDによるRNA認識様式が明らかにされているが、nucleolinによる認識はこれらとは大きく異なるものであり、RBDの持つRNA認識の多様性を思い知らされた。
 昼からのセッションでは、Gerhard Wagner (Harvard Medical School, USA) が、NMR法によるタンパク質立体構造解析が効率化され、分子量が20kDa以下なら精製から立体構造決定までは2ヶ月ほどしかかからず、その中で最も時間のかかる課程は論文作成・投稿である、と述べていたのが印象に残った。
 最後のセッションでは膜タンパク質に関する立体構造解析の発表が続いた。森川耿右氏(生物分子工学研)はグルタミン酸受容体の細胞外ドメインの結晶構造を、宮野雅司氏(理研播磨研)は、創薬のターゲットとして注目されるGタンパク質共役型受容体に属するRhodopsinの立体構造を発表した。両発表とも、Natureに掲載されていることからもわかるようにインパクトの大きいものであった。また、阿久津秀雄氏(阪大蛋白研)は、膜タンパク質の良質な結晶を得ることは非常に困難な課題であり、固体NMR解析の技術の進展には期待がかけられているが、現時点の固体NMR法ではハイスループット解析は不可能だとし、特に多次元NMR法の導入によるシグナル連鎖帰属法の開発を強調していた。確かに、膜タンパク質は現時点では構造ゲノム科学のハイスループットな系の対象とするには難しいが、このように生物学的に非常に興味深い示唆を与えることから、膜タンパク質や超分子複合体の立体構造解析法についての画期的な手法の登場が望まれる。
 
 今回、構造ゲノム科学の進展を目の当たりにして、大変印象深い会議だった。構造ゲノム科学は今後、更に急速に発展して行く分野であることは間違いない。同時に、ORFの立体構造が決定されたとしてもその機能や相互作用を同定していく作業はきわめて困難な課題であることも実感された。ゲノム規模での構造決定と同時に、1つひとつの蛋白質ないし相互作用を従来のように詳細に詰め、理解を深めていく研究とのバランスのとれた研究体制が必要と感じた。