執行猶予
 
       壮年会  有坂文雄
 
 人間ドックの検査の結果、左肺に異常所見があるので精密検査を要する、ということになった。医師の見せてくれたレントゲン写真には左肺の下側に確かに直径1センチくらいの丸いものが見えたのである。「悪性の可能性もありますか?」と聞いてみると、「精密検査をしてみないと分かりません。」という。二週間後、栄共済病院に行ってCTスキャンを行い、内科の待合室で結果を待った。
 
 待つ間に、いろいろなことが頭をよぎった。ひとつは最近読んだ柳田邦男氏の「死の医学への日記」である。その本のどこかに「偶然の真実」ということが書いてあった。例えば、丁度「死の医学への日記」などを読んで心の準備が出来たところで自分がガンであることを知らされる。丁度、介護の資格を取って仕事を始めたときに自分の旦那がガンにかかる等々。科学的には単に偶然ということになるのだが、偶然では済まされないほど自分にとっては大きな意味を持ってくることもある。自分も丁度その本を読んで死について考えたところだった。
 
 私は以前から家内に、もし自分がガンになったら、いろいろ片づけたいことがあるので隠さないで必ず言うようにと頼んでいる。数日前には、家内に保険で自分の医療費がまかなえるかどうか、死んだときにはどれくらい生命保険が下りるのか、などを聞いて確認した。
 
 一番下の息子はまだ中学生なので、大学までやってもらうには保険金ではとても足りないのが気がかりだ。家内は何とかやっていくだろう。大体、女性は男性よりも強い。妻が亡くなると後を追うようにして夫が亡くなったりすることが多いのに較べて、夫が死んでも長生きをする女性が多いとはよく言われることである。
 また、父が言っていたことを思い出した。戦時中、飛行場を飛び立っていく戦闘機乗りは、一緒に飛び立つ仲間の中に確率的には必ず帰ってこられない者がいることを知りつつ、みな自分だけは帰ってこられるような気がしていた、という。私が今、意外と平静でいられるのは、ひょっとして自分は助かると思っているからだろうか、などと考えてみたりする。
 
 そうこうするうちに、「有坂さ〜ん。お入り下さい。」と呼ぶ声がした。さて、どうなることやらと思いながら覚悟を決めて診察室に入ってみると、医師は何枚もの肺の断層写真を机の前の壁に掛けて見入っている。こちらを向くと、「有坂さん。腫瘍は見られません。大丈夫です。」(やれやれ。しばらく執行猶予か。)お礼を述べて診察室を出た。
 
 
帰りがてら、昔のスヌーピーの漫画を思い出した。スヌーピーは数週間骨折のためギブスをはめていたが、今日はやっとギブスのとれる日である。例の犬小屋の屋根の上に仰向けになって考える。こういう辛い出来事はいろいろ人生(犬生)についての《奥深い》問題を考えさせる。例えば、「なんでこのボクが?!」。
病気は他人事ではない。
「病むことの他人事(ひとごと)ならず我が身にもいつおとずれん十字架として」  好音斎